香港はなぜ発展したの?
香港と言えば「100万ドルの夜景」が有名で、高層ビルがひしめき合う大都市ですが、その発展の背景には貿易が大きな影響を与えてきたのをご存知でしょうか?今回は、そんな香港の歴史と貿易の関わりについてご紹介します。
中継貿易港として発展した香港
今や世界の大都市のひとつに数えられる香港ですが、世界の近現代史に登場するようになったのは、「アヘン戦争(1840〜1842)」と「第二次アヘン戦争(1856〜1860)」から。
このふたつの戦争に勝利したイギリスは、当時の清朝と条約を交わし、香港と九竜市街地を植民地化。さらに、1898年には、新界(しんかい)と呼ばれる地域を99年間租借することも決まり、香港はイギリス統治権のもとに発展していきました。この当時の香港の発展を支えたのが、極東地域の中継貿易*でした。
*中継貿易とは、輸入した物質を一時保管した後、あるいは若干の加工を施したのち再輸出する貿易のこと。
香港が中継貿易港として発展した理由には、もともと香港が天然の良港だったこと、香港島周辺の海域には十分な水深があり波も穏やかだったこと、などが挙げられます。つまり、香港は、安全に停泊可能な貿易港として、良好な条件を備えていたのです。
そしてもうひとつは、香港の背後に中国という巨大な市場があったこと。こうした内外の要因がうまく重なり合った結果、「中継貿易港・香港」が誕生したというわけです。
さまざまな顔を持つ都市に成長した香港
現在もなお、香港は中継貿易港(中間貿易港)として名を馳せていますが、第二次世界大戦後は人口が急激に増加したり、冷戦の影響を受けたりして、苦境に立つことも多かったようです。
香港を統治するイギリスは民主主義、中国は社会主義という政治的な背景にも少なからず影響を受けています。
しかし、こうした苦しい状況下で、香港は見事に工業化に成功し、それまでの「中継貿易港」としての姿から 、「加工貿易港」としての姿へ変貌を遂げました。
もともと香港は、繊維産業が盛んでしたが、電子産業や玩具産業、時計産業へと軽工業のなかでの多元化が図られました。
世界のニーズを感知し、中国国内の製造業とも手を組みながら、世界のマーケットを常に開拓し続けて来たからこそ、今の香港があると言えるでしょう。
現在、香港は、世界三大港のひとつと呼ばれるまでに貿易で有名になりました。さらにニューヨーク、ロンドンに次ぐ国際金融センターを持つという顔も併せ持ち、さまざまな魅力を持つ都市として、世界中の人々を魅了し続けています。
また香港は、北京、東京、上海、台北、シンガポールへのアクセスが、飛行機で約4 時間圏内。地理的に東アジア・東南アジアを結ぶ中間点に位置しているので、今後、さらにアジアの経済発展を担う一大拠点になるかもしれませんね。
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