悩み・質問

2016/02/18

香港はなぜ発展したのか?

みなさん、ご機嫌よう。こんてなんじゃ。今日は、「100万ドルの夜景」で有名な香港についてお話しますぞ。(今、世界各地で「100万ドルの夜景」という言葉が使われているようじゃが、香港の夜景が本家本元なんじゃよ。)上の写真のように、香港は何十年も前から高層ビルがひしめき合う大都市なんじゃが、その発展には貿易が大きく影響しているんじゃよ。今日は、そんな香港の歴史を少しお話できればと思いますぞ。

中継貿易港として発展した香港

今や世界の大都市のひとつに数えられる香港じゃが、世界の近現代史に登場するようになったのは、「アヘン戦争(1840〜42)」と「第二次アヘン戦争(1856〜1860)」じゃ。

この2つの戦争に勝利したイギリスは、当時の清朝と条約を交わし、香港と九竜市街地を植民地化。さらに、1898年には、新界(しんかい)と呼ばれる地域を99年間租借することも決まり、香港はイギリスの統治権のもとに発展していったんじゃよ。

この当時の香港の発展を支えたのが、極東地域の中継貿易じゃ。

※中継貿易は、輸入した物質を一時保管した後、あるいは若干の加工を施したのち再輸出する貿易

実は、香港が中継貿易港としての発展した理由には、元来、香港が天然の良港だったこと。香港島周辺は十分な水深があり、波も穏やか。安全に停泊可能な貿易港として良好な条件を備えていたんじゃ。そして、もうひとつは、香港は当時、背後に中国という巨大な市場を抱えていた。こうした内外の要因がうまく重なり合って、「中継貿易港・香港」が誕生したんじゃよ。

さまざまな顔を持つ都市に成長した香港

現在もなお、香港は中継貿易港(中間貿易港)として名を馳せているんじゃが、第二次世界大戦後は人口が急激に増加したり、冷戦等の影響も受けたりして、苦境に立つことも多かったようじゃ。(統治する英国は民主主義じゃが、お隣の中国は社会主義、という影響は少なくなかったじゃろうな。)

しかし、こうした苦しい状況下で、香港は見事に工業化に成功し、それまでの「中継貿易港」としての姿から 「加工貿易港」としての姿へと変貌を遂げていくんじゃ。

もともと香港は、繊維産業が盛んだったんじゃが、電子産業や玩具産業、時計産業へと軽工業のなかでの多元化が図られたんじゃよ。ちなみに、プラスチック造花は爆発的なブームになり、香港フラワーなんて呼ばれておったのう。世界のニーズを感知し、中国国内の製造業とも手を組みながら、世界のマーケットに常に開拓し続けて来たからこそ、今の香港があるんじゃ。

現在、香港は、世界三大港のひとつと呼ばれるまでに貿易で有名になったんじゃが、ニューヨーク、ロンドンに次ぐ国際金融センターを持つという顔も合わせ持ち、さまざまな魅力を持つ都市として世界中の人を惹き付けていますぞ。

また、香港は、北京、東京、上海、台北、シンガポールへのアクセスが、飛行機で 4 時間圏内という、地理的に東アジア・東南アジアを結ぶ中間点に位置しているので、今後、アジアの経済発展を狙う一拠点になるんじゃないかとワシは思っているんじゃよ。

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